知名歷史小說家、台裔日籍的陳舜臣昨日清晨睡夢中辭世,享壽九十歲;陳舜臣一九六一年以《枯草之根》獲江戶川亂步賞,以推理小說在文壇出道,《青玉獅子香爐》獲直木賞,是直木賞史上唯二獲獎的台裔作家(另一是邱永漢),之後耕耘中國歷史小說,在日本歷史小說創作領域與司馬遼太郎並稱雙璧。
陳舜臣祖籍福建省,祖父日治時代從台灣移居神戶做生意,陳舜臣一九二四年二月在神戶出生。畢業於大阪外國語學校,與作家司馬遼太郎結為摯友。他學習印度語,後來成為助教。日本戰敗後,陳舜臣從日本人回復中國人。他本打算留校教書,但非日本人在國立學校當不上教授,只好另謀生路。一九四八年,陳舜臣短暫返台一年,在新莊中學擔任英文教師。
年近四十歲陳舜臣才專心寫作,《鴨片戰爭》、《秘本三國志》、《諸葛孔明》等,作品以世界史觀點看日本或亞洲人的交流,描寫不同風俗背景的人如何接納,彼此共生,掀起日本閱讀中國史的熱潮。
陳舜臣是日本推理小說史上首位三冠王(江戶川亂步獎、直木獎、推理作家協會獎),參與過NHK《絲路》採訪主持,《琉球之風》也改編成NHK大河劇。一九七二年日本與中國大陸建交後,每年都到大陸旅行採訪。一九九○年他重新取得日本籍,一九九四年腦溢血住院五個月,出院四天後阪神大地震,但還是完成《成吉思汗一族》鉅作,二○○八年二度腦溢血。
陳舜臣對出生地神戶有強烈感情,著書《神戶物語》全額版稅捐給義工團體,他說,「敘述一段痛苦記憶絕不是輕鬆的事。但我必須擔起傳承任務。」
去年五月六日,蒐集他的作品、史料的「陳舜臣亞洲文藝館」於神戶市中央區開幕,陳舜臣坐著輪椅參觀。去年十一月入院,長男陳立人說,住院後父親神志清楚,談到中日關係惡化,「一直念著希望中日能保持友好關係。」
台灣在日本 文化代言人
「他是台灣在日本的文化代言人。」作家、日文翻譯家邱振瑞表示,二次世界大戰後台日關係斷裂,日本人對台灣相當陌生,陳舜臣的崛起,為台灣在日本發聲。
國籍阻擋陳舜臣走向學術之路,卻造就他成為歷史小說大師。他精通中文、熟讀中國典籍與人物,改寫為歷史小說或隨筆,包括《曹操》、《諸葛孔明》、《小說十八史略》、《鴉片戰爭》等,對中國文化在日本的普及貢獻卓著,被視為「中日文化的橋梁」。
陳舜臣在描寫國父孫中山的《青山一髮》中,提到日軍攻台時,有一名台北地主名為「陳舜臣」。他以為這是作者的幽默。經查證後,發現歷史上的確有另一位「陳舜臣」。
一九九四年陳舜臣返台颳起旋風,獲當時總統李登輝接見。陪他赴總統府的遠流董事長王榮文回憶,陳舜臣擁有開闊的史觀。過去史家認為海洋阻隔了台灣、草原阻隔了蒙古,陳舜臣卻認為海洋和草原「是通路、不是阻隔」。
直木賞台裔作家 陳舜臣辭世
影音報導:
台裔日籍作家陳舜臣病逝 享壽90歲 20150122 公視中晝
作家の陳舜臣さん死去、90歳=「阿片戦争」中国の歴史描く
時事通信 1月21日(水)13時43分配信
「阿片戦争」「諸葛孔明」など、中国やアジアを舞台に、雄大なスケールで歴史と人間の姿を描いた作家の陳舜臣(ちん・しゅんしん)さんが21日午前5時46分、老衰のため神戸市の病院で死去した。90歳だった。葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く予定。喪主は長男で写真家の立人(りいれん)氏。
神戸市出身。大阪外国語学校(現大阪大)卒。1学年下に作家の司馬遼太郎がいた。
1961年、神戸を舞台にした「枯草の根」で江戸川乱歩賞を受賞し、推理小説作家としてデビュー。69年「青玉獅子香炉」で直木賞、70年「玉嶺よふたたび」「孔雀の道」で日本推理作家協会賞を受け、人気作家としての地歩を築いた。
67年「阿片戦争」などから、中国やアジアに取材した歴史小説や随筆、紀行文に作風を広げ、76年「敦煌の旅」で大佛次郎賞、92年「諸葛孔明」で吉川英治文学賞を受賞、「琉球の風」は93年にNHK大河ドラマ化された。94年度の日本芸術院賞も受けた。他の著書に「小説十八史略」「太平天国」など。
本籍は台湾だったが、日本生まれの立場から積極的に発言、日中両国の文化的な懸け橋の役割を果たした。90年には日本国籍を取得した。
95年阪神大震災で被災した後も神戸に根差した執筆活動を継続。2014年、神戸市中央区に愛用の品々や自筆原稿を展示する「陳舜臣アジア文芸館」がプレオープンした。
作家・陳舜臣さん死去 中国歴史小説に功績 神戸出身
神戸新聞NEXT 1月21日(水)13時56分配信
「阿片戦争」「秘本三国志」「小説十八史略」などの中国歴史小説で知られる直木賞作家で、日本芸術院会員の陳舜臣(ちん・しゅんしん)氏が21日午前5時46分、老衰のため神戸市内の病院で死去した。90歳。神戸市出身。自宅は神戸市東灘区。通夜、葬儀・告別式は近親者で行う。後日、お別れ会を開く予定。喪主は長男立人(リーレン)さん。
1924年、台湾出身の貿易商の次男として、現在の神戸市中央区に生まれた。神戸市立第一神港商業学校(現同市立神港高校)から、大阪外国語学校(現大阪大外国語学部)印度語科へ。卒業後、同校の西南アジア語研究所助手、英語教師を経て、57年ごろ家業を手伝いながら小説を書き始めた。
61年、推理小説「枯草の根」で江戸川乱歩賞を受けて文壇デビュー。その後歴史小説に転じ、67年に「阿片戦争」3部作を完成させた。69年「青玉獅子香炉」で直木賞、70年には本紙連載小説「孔雀の道」と「玉嶺よふたたび」で日本推理作家協会賞を受賞した。
90年に日本国籍を取得。93年のNHK大河ドラマ「琉球の風」では原作を手掛けた。94年に脳出血で倒れ、療養中の95年、阪神・淡路大震災に遭った。しかし以後も「チンギス・ハーンの一族」「曹操」「中国美人伝」などを相次ぎ発表。口述筆記で晩年まで創作を続けた。
地元文壇の顔としても長く親しまれ、69年に兵庫県国際文化賞、74年に神戸市文化賞、84年に神戸新聞平和賞を受賞。ほかに91年に吉川英治文学賞、95年に日本芸術院賞と井上靖文化賞など多数。98年には勲三等瑞宝章を受けた。2010年10月に始まった本紙連載「わが心の自叙伝」は11年6月に中断し、再開は果たせなかった。
昨年5月には、自筆原稿や蔵書を展示する「陳舜臣アジア文藝(ぶんげい)館」が神戸市中央区波止場町に開設され、プレオープンには陳さんも出席。「アジアの若者たちが国境を越え、文化を学ぶ場所になれば」と期待を寄せていた。
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